祭事

元日           歳旦祭
旧暦初午         摂社 二上稲荷神社初午祭
春分の日         春分祭(祈年祭)
五月三日         春季例祭
秋分の日         秋分祭(祖霊祭)
十二月三日に近い土曜日 新嘗祭、夜神楽祭
大晦日         大祓
毎月三日        月次祭

春季例祭

毎年五月三日は二上神社例大祭でございます。午前十時半より祭典式が執り行われ、式典終了後より社務所にて直会(食事)です。午後一時から御神幸行事が執り行われます。
 二上神社では春と秋の二度大きな祭が行われます。春の例大祭、秋の夜神楽です。春五月三日は八十八夜も近い農事が本格的に始まる時期です。農事と密接に関わってきた神社のお祭りは、これから行われる農作業が無事に進み秋の収穫を祈願する事です。そして秋はその収穫に感謝する事で、大神様からのご守護に感謝の気持ちを神楽で表現することです。
 御神幸は大神様に里の様子をご覧いただき元気な村人、崇敬者の姿を見ていただくお祭りです。重い御神輿を担ぐ事で五穀の豊穣家族村人の無病息災を祈願します。
 御神幸行事は先ず境内所定の場所に御神輿を置き、拝殿にて発輿祭を執り行います。その後「上げ輿」と云う簡易神輿にて移動し本神輿に御霊代を遷します。棒術、薙刀使いが拝殿より本神輿まで道をつくりその間を神楽神面奉仕者等に率いられ、上げ輿に乗った大神様は移動します。
 拝殿より上げ輿、上げ輿より本神輿への御霊遷しの際は神楽太鼓はガタウチ(太鼓の胴だけをカタカタ打つ)に変わり一同それを合図に平伏します。御霊代を直視することは恐れ多いとされ祭典関係者はもとより一般参列者全員平伏しなければなりません。ただ御霊遷しを行う祭主(宮司)と合図を行う太鼓打ちの者は控えめに見ることが出来ます。
 二上神社の御神幸の醍醐味は212段の急な階段を降るところです。発輿の準備が整ったら太鼓の音が御神幸太鼓に変わり棒術、薙刀使いが行われいよいよ出発です。境内を一巡りした後正面階段を降ります。数百メートル下の御旅所まで行き神楽、棒術が行われて一息入れたら帰りの御神幸が行われます。今度は212段の階段を一気に登ります。(写真はその様子を後ろから撮影したものです)境内に上がると本殿の周りを時計回りに三週して神輿を納めます。
 本殿を三週するのは大神様を担ぎ出した村人はすぐにお返しするのは忍びない(もう少し大神様を担いでいたい)という気持ちの表れだと云われています。
 最後は本殿に御霊代を納めて終わります。勿論式初めの逆の作法にて上げ輿にて丁寧に御本殿に御帰りいただきます。

 二上神社の春祭りにはすべての神事が終わると村人等による余興が行われます。氏子地域の女性部をはじめいろんな団体が出し物を披露します。楽しく賑やかにお祭りを終えます。

二上神社夜神楽について(重要無形民俗文化財)

夜神楽は文字通り夜行われる神楽神事で、発祥は不明ですが平安時代鎌倉時代に確立し江戸時代に現在の里神楽に変化していったと伝えられています。

現在、『高千穂の夜神楽』として国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。

無形文化財は口伝えにより伝承されてきた為町内でも保存会ごとに舞い方や演奏が違いそれぞれに特徴的な夜神楽となっています。二上神楽はその一派として独自の発展を遂げました。基本的な形は維持しておりますが二上独特の調子があります。実際にご覧にならないと伝えにくい部分ですが簡単に説明しますと、他の地区より動きが早く勢いがある神楽が多いのが特徴です。それが良い悪いは無いのですが逆に厳かさは薄いかもしれません。
33番の神楽は大別すると大神楽、小神楽に分かれています。更におもて(面)を付ける舞付けない舞そして一人舞、二人舞、三人舞、四人舞、五人舞など様々な組み合わせによって構成されています。
大神楽は基本中堅以上の舞い手が舞います。ある程度経験を積んでようやく舞うことができる舞ですゆっくり厳かに舞うことが求められます。小神楽は初心者から中堅位の舞い手が中心です。動きが早く威勢の良い舞が多く基本的には若手が舞います。おもて(面)は基本的には中堅以上の舞い手が付けて舞いますが、例外もあります。その代表格が(彦舞)です。33番の演目で一番最初に行われる舞で猨田彦が登場します。舞の動きは単純ですが、神楽の基本動作が入っており足さばき手さばきをこの神楽で若手の(ほしゃ)は学びます。
(ほしゃ)とは奉仕者が訛った言葉です。つまり神楽奉仕をする者と言う意味で(ほしゃどん)とも呼ばれます。二上神社には現在17名の(ほしゃ)がいます。33番の舞を奉納するにはギリギリの人数だと言われております。神楽演目には七貴人と言う舞があり文字通り七人の舞い手が入れ替わり立ち代り登場する舞があります。おもてを付ける為裏方の補佐役も必要で、更に太鼓、笛、ガタ、の三人が演奏する為殆ど休んでいる暇が無くなります。他の地区もそうですが当二上神社も(ほしゃ)の不足に苦慮しているところです。若手の参入育成が今後の課題と言えます。

夜神楽の意味には様々な考えがあります一番は五穀豊饒への感謝の気持ちを大神様にお伝えする事です。更にその神様、八百万の神々を里にお招きして無病息災の祈願を行う事です。そして冬にかけて1日の日照時間が短くなってくる時期に、日の大神(天照大神様)の御神威を高める為に夜を徹してお日待ちをする事で来年の豊饒への祈願が行われているのです。
祭日の午後2時〜3時頃に宮神事が行われた後神楽宿へ移動します。昔は徒歩にて行われていたそうですが今は車で宿近くまで行きそこから舞い込みが行われます。神楽を舞いながら神楽宿へ入ります。午後6時頃に夕食を食べいよいよ夜神楽の始まりです。先ず神事が行われ宿を祓い清めた後そのまま神楽開始となり、翌日の8時から9時頃まで殆ど休む事なく続けられます。(ほしゃ)もそうですが見ている客も不眠で一夜を過ごす事は大変な事です。勿論寝てはいけない事ではないのですが、寝てしまうと(ほしゃ)は他の者に迷惑を掛け客は折角の舞を見損なってしまいます。うたた寝をしながら必死に睡魔と闘いながらようやく朝を迎えるころ夜神楽の真骨頂(岩戸五番)が始まります。実際には6つの舞の総称で天の岩戸開き神話を題材とした神楽です。岩戸五番の最後の舞が(舞開き)と言う舞で天照大神様がお出ましになられます。不思議な事に丁度その時間は冬の朝7時頃になり正に日の出の時間です。
夜神楽はお日待ち神事の要素も含まれています、天照大神様の登場は正にお日様の出現を意味し冬至の頃に行うお日待ちで春を呼び一年の豊饒息災を祈願するのです。

この夜神楽を最初から最後まで見た者はその一年息災であると言われています。夜神楽はまさに神と一体となって大神様の御神徳を授かるお祭りです。又、夜通し見る為寝不足による一種のトランス状態となり神の世界に近づく事を願っているのです。事実(舞開き)を見るときにその舞だけを単純に見るより、一晩中寝ずに神楽を見た後に見るのは全く違って見えます。
極端に言えば(舞開き)を見る為に30番の神楽を見なければならないのです。又、その神楽宿にいる事も重要な事です。(ほしゃ)はいろいろやる事が有るので実は以外と眠気は無くなります、しかしただ見てるだけの客はどれだけの忍耐が必要か想像もつきません。

神を感じる事は容易では無いのです。

でも、その感動は何物にも変え難きものになるでしょう。

春分祭・秋分祭

毎年春と秋、春分の日と秋分の日はそれぞれ春分祭秋分祭を斎行しております。 このお祭りは元々神仏習合時代の名残だと思われます。春は神事のみの祭典ですが、秋はご先祖供養の鐘、太鼓の舞が奉納されます。お彼岸でもある両祭日にこの集落では先祖供養を神社の境内で行うのです。神道的には一年で二度昼夜の時間が時間が同じになるこの日を節目の日として日の大神様への感謝を込めてお祭りを行っていたと思います。他には夏至や冬至も同じ様に昔はお祭りが行われていたと思われます。仏教的には彼岸は先祖の霊が帰ってくる日で先祖供養の日とされています。
広い意味神様も大いなるご先祖であるわけで、人も死後50年100年と経てば神の御列に入るという神道の考え方からすれば何も不自然ではないのでしょう。お彼岸の中日は神道では春分け、秋分け。同じ日が神仏にとって重要な日であったいにしえから人々はお祭りを行ってきました。神に対して先祖に対して対象は違えども目に見えない尊い存在である事は事実です。
二上神社では春の春分祭はこれから始まる農事の祈年祭として行っております。祈年祭とは五穀の豊穣を祈るお祭りです。その祈りを大神様と更に田畑を作り上げてきたご先祖様にもお祈り致します。そして秋、御霊を慰め感謝の意を表し鐘、太鼓を打ち鳴らすのです。
その後収穫を終えて季節は冬至を迎える頃に行われるのが夜神楽なのです。
写真は二上神社のお膝元、小谷内集落の皆さんが鐘、太鼓の楽を終え集合写真を撮ったものです。舞の写真で無いのが残念ですが、境内で輪になって太鼓、鐘を打ち鳴らす様子はどこか幻想的です。
終了後は境内の片隅で炭で肴を焼いて焼酎を飲みながら素朴な直会が行われます。
どなたでも直会に参加出来ます。